琉球ガラス職人 稲嶺 盛一郎
茶泡変形宙吹きグラス
-琉球ガラス-
現代の名工
その匠の技を受け継ぎ
親子二代にわたり
ガラスのさらなる進化を追求する
生粋のガラス職人
稲嶺 盛一郎
稲嶺氏がその時の心のままに吹き、うねり、創られた数々の琉球ガラス。
どんなラインになるのか、どの場所にどこまでの色味が出るのか、計算してつくることのできない1点ものガラスたち。
だからこそ窯から出した時の驚きと興奮が次に作る原動力へと続きます。
稲嶺 盛一郎
琉球ガラス工房 -絆-
琉球ガラス/現代の名工「稲嶺盛吉」氏を父に持ち、しかし決して二代目という立場に甘んずることなく、ひたすらに熱く、かつ楽しみながら全力で琉球ガラスを追及し続ける熱血ガラス人。
1987年に「奥原硝子工房」で琉球ガラスについて学んだのち、宙拭きガラス工房「虹」において父、稲嶺盛吉氏のもとで、約20年にわたり泡ガラスを始めとする様々な技法を習得。
沖縄県内で数々の賞を受賞、2015年に独立し琉球ガラス工房「絆」を開房。
使う人々に再生ガラスのもつ温かさを伝えたい、と原料は廃ガラスのみにこだわり続ける。
自らの作品を通し「人と人の絆を繋げる」ことを喜びとし、日々オリジナリティーを追及した琉球ガラスを生み出している。
琉球ガラスが作られ始めたのは明治の中期ごろとされています。
量産的に作られるようになったのは戦後間もない頃、アメリカ軍の駐留軍人向けに作られるようになった事がきっかけとなりました。
当時沖縄を占領したアメリカ兵が捨てた清涼飲料の空き瓶を資源とし、リサイクルして生まれたのが現代に続く色彩豊かな琉球ガラスの始まりとされています。
アメリカ軍が戦後も駐留し続けた歴史背景から、琉球ガラスは著しく発展を遂げます。
その頃の琉球ガラスの原料は再生ガラスが主でした。
厚みがあり、またガラスの中に気泡が入り色味も現在のような原色の鮮やかな色合いではなくむしろくすんだ透明色が主色でした。
しかし、他のガラス器に見られるようなガラス特有の透明感や冷たい感じや繊細さはなく、深みのある色合いや独特の気泡がむしろ沖縄らしい魅力として喜ばれ、現代に至るようになりました。
本来ならば不良品扱いとなる気泡も琉球ガラスの特徴として取り入れ、活かし、深め、原料ガラスを使う工房が増える今日でも、素朴な味わいや光の芸術として受け継がれています。
琉球ガラスの製法にはガラスを吹き竿の先に巻き取って息を吹き込み形を整える「宙吹き」と、型の中に直接吹き込む「型吹き」とがあります。
成形における吹きガラスの工程は、一切が冷え切らないうちに仕上げなければなりません。
1400度にもなる炎で熱せられたガラスはドロドロに溶けており、生き物のように絶えず動きます。
一瞬たりとも気を抜けないないその作業は、想像を超えた暑さになります。
そんな中で、意志を持ってるかの様なガラスの動きに心を合わせ、本来持つガラスの特徴に向き合うことで、作り手の意志や技術を超えた琉球ガラスの色彩や輝きが生まれるのです。
4.
ハンドメイド商品に込めたkubagasayaの想い
私たちkubagasayaで扱う琉球ガラスは、ガラス職人がひとつひとつ手作りしたものです。
ひと吹きひと吹き情熱を込め作り上げられたガラスたち。
同じ商品でも気泡やクラック(ひび加工)、 色合い、大きさなど表情が異なるガラスたち。
だからこそそれぞれの個性がたまらなく愛おしいものとなり、なんでもない日常をきらきらと心浮き立つ日々に変える力を秘めています。
大量生産では味わうことのできないハンドメイドの醍醐味を全国の皆様にお届けすることで
お客様を笑顔に!お客様をHappyに!
これこそが私たちにとっての喜びであり原動力となっています
『kubagasaya』はこれからも心踊る色彩豊かな『琉球ガラス』を全国へ発信し続けます!